ショートオムニバス・シリーズ 『母を犯されて』
ケース3
母・冴子(さえこ) 40歳
中 学の頃、わたしは母を疎ましく感じていた。特別な事情はない。いわゆる反抗期というやつだ。例えば、ある日、顔に大きな湿布を貼っていても、「大丈夫か」の一言すらかけなかった。とはいえ、不良になるほど思い切った行動に出るわけでもなく、ただ家庭内で態度の悪い娘を演じているに過ぎなかった。
わたしがKと付き合うようになったのも、そんな些細な反抗心がきっかけだったのかもしれない。Kは大学生で、母がわたしに付けた家庭教師だった。これと言って特徴のない、地味で冴えない男だったが、比較する材料の乏しかった当時のわたしにはちょうど良い選択肢だった。何より、恋に恋する少 女は盲目である。14歳のわたしは、Kに処女を捧げた。
一人暮らしをしている彼のアパートにも通うようになった。時には学校をサボって彼の部屋で時間を潰し、何事もなかったかのように帰宅した。もちろん、セックスも回を重ねていった。母を出し抜き、同級生を出し抜いて、わたしは一人大人になった気でいた。
その日も、わたしは彼の部屋にいた。彼が大学へ行っている間は、一人でゲームをして過ごす。爛れた生活も板についてきたと思っていた。そんな矢先のことである。いつもの通り、だらしなく寝そべっていたわたしの目の前で、突如テレビ画面がゲームから別の入力に切り替わったのだ。これはありがちなことで、何かの拍子にリモコンが動いたらしい。慌てて入力を戻そうとしたが、流れ出した映像が、わたしの手を不意に止めさせた。
アダルトビデオだと思った。男女がベッドの上で行為に及んでいる。隠し撮りのようで、左斜め前からの二人の全身と部屋の背景がアングルの中に収まっている。女は四つん這いで顔をつんのめらせるような格好。それを男が後ろから突いている。それを見たわたしは、今さらセックス映像で動揺するわけもない、はじめはそう思っていた、が、程なくして、強烈な違和感に襲われ出した。
暗くて分かりにくいが、部屋の壁紙や家具の感じが、どこか馴染みのあるもののようなのだ。そうして、男の顔が親しい人にそっくりなのである。
「K?」
後になってみれば己の鈍感さに嫌気が差すが、この時は想像だにしないことだったから、事態を把握するまでに時間がかかった。他人の空似にしては似過ぎていた。でも確信は持てなかった。いや、持ちたくなかったのかもしれない。ともかく、これまで何度も抱かれながら、わたしはKの裸をよく見てこなかったことに気付いた。だが、もしKだったとして、彼はアダルトビデオに出演していたということだろうか。それともプライベートなものなのだろうか。だとしたら相手は前のカノジョか、あるいはほかに女がいるのか。いやいや、普通に考えて相手はわたしなんじゃないだろうか。様々な考えが一瞬のうちに脳内を駆け巡る。
間もなく、ハッとすることに気が付く。壁のポスター、棚の置き物……
「わたしの部屋!」
そうだ、わたしの部屋だと、馬鹿みたいに能天気な探偵が、ようやく証拠にたどり着いた。机の上に薄っすらと確認できる写真。それは父の生前に写した家族旅行の写真だった。となると、男はやはりKで、
「やっぱり相手はわたし?」
当然、そういうことになる。はずだ、が、撮影した覚えは当人にない。そればかりか、自分の部屋でセックスしたことは、今までに一度もないのだ。さすがに母にバレてしまうから。
「じゃあ……誰と?」
その時、今も耳について離れない、あのおぞましい、悔しさと怨みのこもったうめき声が、低く太く、まるで地獄から沸き上がってくるように響いた。ちょうど、男が女の髪を掴んで引っ張り上げた時である。
わたしは、目と目が合うように、女の顔を見た。その瞬間、胃から急激に異物が込み上げてきて、とっさにトイレに駆け込んでいた。水洗ボタンを押しながら、何度も何度も吐いた。このまま血を吐いて、死んでしまうのではないかと思った。次第に体が震えだし、過呼吸にもなった。
あの人のそんな姿を、わたしは知らなかった。いつも凛として、時に冷たくも見えるほど澄ましていて、厳しく、時に口うるさく、プライドが高くて、人に頼ろうともしない人だった。そんな人が、髪を振り乱し、涙で顔をグシャグシャにしながら、絶望したように苦悶の表情を浮かべていた。
キレイなママね、とよく言われた。幼い頃はそれが自慢だった。いや、その思いは、きっと本当はその後も変わっていない。だが一方で、僻みも感じるようになっていった。わたしは母に勝てないと、勝手に思い込むようになった。それが思春期のせいだとか、そんなことは当の本人に分からない。だから、このモヤモヤした思いをぶつけることもできないまま、裏腹な態度に走ってしまった。父が死んで仕事に復帰し、それでも娘との時間をできるだけ作ろうと苦心惨憺している様は一番知っていたはずなのに、その優しさを押しつけがましく感じてしまっていた。
やっと吐き気が治まって、わたしはヨロヨロと立ち上がった。先走ってしまったが、よくよく考えてみればあり得ない話ではないか。あれは勘違いかもしれない。ひょっとしたら幻を見たのかもしれない。そんな淡い期待を持って、わたしはトイレを出た。
本当は分かっていた。途切れ途切れの呻きが聞こえる。わたしの足は、それでも歩みをやめなかった。ノソリノソリと進んでみれば、まだビデオは流れたままだ。しかも今度は、カメラを手に持っているらしく、顔が大写しになっていた、母の顔が。
わたしは再びトイレに駆け戻った。そして、この気持ち悪さの正体におぼろげながら感づいた。わたしは母を遠く見上げているつもりだったが、二人はやはり親子だったのだ。血は水よりも濃い。犯されている母に、わたしはわたしを見た。同じ女なればこそ分かってしまう。わたしがアイツに抱かれている顔、体。わたしはそれを突き付けられたのだ、と。
わたしは大きく息を吸って立ち上がると、一目散に家を飛び出した。だが、階段を駆け下りた所でふと思い返して部屋に戻ると、DVDをデッキから取り出し、それをカバンに押し込んで、再び家を出た。そこからどういうルートで帰ったのかは覚えていない。
帰宅すると、ちょうど母は居た。目に焼きついていた映像で、頬を殴られていたのを思い出した。あの日、湿布を貼っていた母。その日、今日みたいに一人でアイツの部屋にいたわたし。帰ってきたアイツとセックスをしたわたし。帰宅して、湿布姿の母を見たわたし。つまり、そういうことだ。奴はわたし達母娘を……
わたしの目から勝手に涙が流れていた。それはとめどなく溢れて、とどまることを知らない。その涙につられて、わたしは号泣し始めた。玄関に立ち止まって、ワンワン、ワンワン泣いた。母はそれを見て、全て悟ったのだろう。わたしを抱きしめ、自分も泣いた。
その後、奴は逮捕されて有罪が確定し、大学を追われたと聞く。
〈おわり〉
- 関連記事
-