おことわり
このブログには、エッチなことがたくさん書いてあります。まだ18歳になっていない人が見ていい所ではありません。今からこんな所を見ていると、将来ダメ人間になってしまいます。早くほかのページへ移動してください。 >googleでほかのページを検索する< なお、掲載している小説はすべて虚構であり、実在の人物・団体等とは一切の関係がございません。 |
お知らせ
「オナこもりの小説」は、エロ小説を気ままにアップしていくブログです。たまに、AV女優や、TVで見た巨乳のことなども書いています。左サイドにある「カテゴリ」から、それっぽい項目を選んでご覧ください。
小説には、連続作品と一話完結作品があります。連続作品は、左「カテゴリ」の各作品名より一話から順番に読むことができます。また「目次」には、各作品の概要などをまとめた記事が集められています。 ■連続作品 ◆長編作品 ▼「子宝混浴『湯けむ輪』~美肌効姦~」 ◆中編作品 ▼「大輪動会~友母姦戦記~」 ▼「青き山、揺れる」 ▼「師匠のお筆」 ◆オムニバス ▼「母を犯されて」 ◆短編作品 ▼「育てる夫」 ▼「最後の願い」 ▼「ママの枕」 ▼「ブラック&ワイフ」 ▼「夏のおばさん」 ▼「二回り三回り年下男」 ▼「兄と妻」 ■一話完結 ▼「ふんどし締めて」 ▼「旧居出し納め・新居出し初め」 ▼「牛方と嫁っこ」 ▼「ガンカケ」 ▼「祭りの声にまぎれて」 ▼「シーコイコイコイ!」 ▼「サルオナ」 ▼「母の独白」 ▼「童貞卒業式」 ▼「お昼寝おばさん」 ▼「上手くやりたい」 ▼「珍休さんと水あめ女」 ▼「栗の花匂う人」 ▼「乳搾りの手コキ」 ▼「妻つき餅」 ▼「いたずらの入り口」 ▼「学食のおばさん便器」 ▼「山姥今様」 ▼「おしっこ、ついてきて。」 ★作品一覧 |
『いたずらの入り口』 “いたずら”――。各種報道においては、“暴行”と並んで便利使いされる言葉だ。法的には、それぞれ“強制猥褻”“ごうかん”という用語があるのにもかかわらず、慣習的にそうは呼ばれない。一つには、被害者に対する配慮といった面もあるのだろうが、実際には、臭いものには蓋をしたがる社会の風潮に、合わせたと言った方が適当なようである。 確かに、“強制”とか“ごうかん”とか言った単語はいかにも仰々しく、上品なる家庭の日常において不釣り合いな刺激性を伴ってはいる。そこで、それら直接的表現を緩和し、さらには“分かりやすい”という追加理由まで挙げて、濁した言葉が好まれるようになった。 しかし、その副作用として、返ってことの迫真性までが薄らいでしまうことになったというのは、当然の帰結だろうか、はたまた皮肉な結末だろうか。ともかくも、その結果として下卑た好奇心の介在する余地が生まれたのは確かだと思うのである。殊に、加害者予備軍の者にとっては、小さからざる要素ではないだろか。 “暴行”については、いまだ理性の障壁が機能しやすいといえども、“いたずら”については、ほんのちょっとのきっかけで踏み込んでしまうほどに、その入り口は足元近くに広がっていると思う。いわゆる“魔が差す”というやつだ。 エスカレーターに乗った時、何の気なしに見上げればミニスカートの女性が上を行っている。そこで、ふいに首の角度を傾けて……。 前かがみになって作業をしている女性。その緩いシャツの襟元からは、丸い双丘、さらにはそれを覆う布地、いや、もっと角度を変えれば、その浮いた布地の奥の干し葡萄まで……。 満員電車の中。たまたま前には女性がいて、彼女の髪がちょうど鼻先に触れ合う位置に。甘い香りが鼻腔をくすぐる。密着する服を通して、彼女の体温までが伝わってくる。ちかんする気はない、ちかんする気はないが、前に捧げた鞄を少し脇に逸らす位は……。 危険因子は、身の回りにゴロゴロ転がっている。どれ一つ取っても命取りだ。法律には違反せずとも、条例違反ということがある。よくよく自戒せねばなるまい。 かく言う私も、気をつけねばならないと思っている。いな、私こそ最も反省せねばならない男の一人である。というのも、既に幼少のみぎりより、“いたずら”嗜好があったからだ。 “いたずら”というと、多くの報道を見る限りおさない女相手に行うのが一般なようであるが、私の場合は違っていて、相手は成熟した女性であった。私がまだランドセルを背負っていた頃であるから、彼女はその当時三十代半ば位だったろうか。それは、同級生の母親であった。 我が母と同じ位か、ひょっとしたらそれ以上の歳だったかもしれず、平生他の子がそうするように“おばさん、おばさん”と呼んでいたが、私は彼女のことを“女”として見ていた。いつ頃からそうだったかは分からない。ただ、彼女がキャミソールやホットパンツ姿で、大きな胸や尻をタプタプ揺らしながらジュースやお菓子を持ってきてくれるのを鮮明に覚えているので、そういうのを見ている内に意識するようになったものであろう。 元来、私は早熟な方であった。幼稚園に通う頃には、既に意図的に手淫することを覚えていた。だから、クラスメイトや先生はもちろん、友人の姉妹や母に至るまで、その頃もう性の対象となり得たのである。 とはいえ、まだまだ子どものことだ。知識は無いし、何をするといって出来ることもない。もしも、現在の知識を有したままで体だけ子どもに戻れたなら、その地位を利用して散々に悪行もできそうなものであるが、その当時の私は、例えば女湯に入ることすら恥ずかしくてできなかった。まったく、人生とはよく設計されたものである。 そんな私が、やっとの思いで冒険した行いが、前述の友人の母に対する悪さであった。あれは、男子が子供らしく女性と戯れられる、ちょうどギリギリの年齢の頃であったろう。彼女がまた、そういう無邪気な戯れを喜ぶ性質で、よく取っ組みあいなどに応じてくれたものだから、ああいう願望も果たしやすかったのである。 私は他の子らがそうするように、彼女に組み付いて暴れた。その過程で胸や尻にも触った。他の子も触っていた。そういう時、彼らにも性的好奇心がないとは言い切れなかったであろうが、私ほど明確に淫らな気持ちを抱いていた者は無かったであろうと、はっきり断言できる。 私は、子どもながらに淫乱であった。乳房を揉んだ時、これを“おかず”に家に帰ってから自慰に耽ろうと考えていたのである。“家に帰って”――そう、確かに最初はそういうつもりだった。だが、そう思った時、さらに淫らな思いつきが心に閃いたのだった。げに恐ろしき“魔が差した”のである。私は、幼くしてあまりに淫らであった。 思うが早いか、私は彼女の広く大きな背中に組み付いていた、きっちりと股間を密着させて。そして、さすがに乳房をつかむことまでは出来ずに、肩の辺りに手をひっかけて、極めてさりげなく、じわりじわりと腰を動かしだした。 彼女は前方の子に向かって何か言っていた。どういう遊びだったのかは忘れたが、前の子への攻撃を、自分は後ろから止めるという位置取りに収まれたのだと思う。とにかく私は、そんな遊びとは無関係に、初めは慎重に、しかし徐々に大胆に半ズボンの前をこすりつけ続けた。 信じられない程の快感が全身を貫いていた。生身の女の体で自慰をしているということが、前代未聞の興奮を身内に呼び込んでいた。女の体は想像以上に柔らかく、また良いにおいがし、そして何より、熱かった。その熱さこそが、本物の女を教えてくれるようだった。 ちらりと友人の顔を窺う。この女の息子の顔だ。もしもう少し大人であったならば、何かしらの心の動きがその後あったのであろうが、その辺り、まだいびつな成長しか遂げていなかった私には、背徳心も何もなかった。悪びれもせず、ただ“田村君のおばさんでおチンチンこすって気持ちいい”とだけ思っていた。そもそも日頃から、“田村君のおばさん”には“オナペット”として、“おチンチン”の“お世話”をして頂いていたのだ。 私はこすった。パンツの中では、パンパンに膨れ上がった陰茎が、卑猥な粘液をまぶして踊っている。同級生の誰も、まだこんな仕業があることを知るまい、そう確信していた。彼らは本当に無邪気だった。本当に純粋で子供らしく輝いていた。私は、時に、そういう彼らが羨ましくも思えたものである。 しかし、ひと度劣情に流された男には、そんな憧憬何の歯止めにもならない。ただただ獲物を狙うような目で周囲の様子を窺い、時折は動きを止めたりと気を使いながら、何とか最後まで持っていこうと必死なのである。 心にもない台詞も吐いた。黙っていて怪しまれてはいけないからだ。そうして、そういう台詞を五回ばかり吐いた時だろうか。終焉の時はあっという間に訪れた。最後の三回ばかりは、本当のセックスのように大袈裟に腰をグラインドさせ、そして最後には思い切り腰を前に押し出して、果てた。 その瞬間、じっと股間を見つめたが、半ズボンを通しては、何らの変化も認められなかった。私は、それを幸いとしてオナペットから身を離した、ついにばれることなく目的を達成したのだと満足して……。 それから後も、田村の家には度々通った。“チャンスがあれば、また”そういう思惑は当然にあってのことだ。だが、もう二度とそんな機会は巡ってこなかった。“もっと以前なら、ボディータッチの機会なんていくらもあったのに、どうしてもっと早くあのオナニーを思いつかなかったのか”と、後悔さえしたものだ。 だが、改めて考えてみると、当然の結果なのかもしれない。そもそも、あれが本当にばれなかったのかどうか、怪しいものである。相手は大人だったのだ。こちらがいかに細心の注意を払っていたつもりでも、所詮は子どもの思いつき、何をやっているか位、お見通しだったのではないだろうか。いかに小さなものでも背中に勃起を押し付けられて、気づかないと計算する方が、浅はかだったのではないだろうか。 そう考えてみると、紙一重の結末に、思わず背筋が寒くなる。あれが子どもの頃の過ちで本当に良かった。ああいういたずらの入り口は、今もすぐそこに転がっているのかもしれず、ついフラフラとそこに迷い込んでしまえば、行先は地獄、大人の今なら人生を棒に振る話なのだ。 彼女には、よく見逃してくれたものだと、その寛容さに感謝するばかりである。やはり、気づかれていたのだろうと思うから。 <おわり> |
「いよいしょっ! いよいしょぉっ!」 子どもの動きに合わせて、大人たちが声を揃える。 ここはマンション下の広場。今日は餅つき大会である。主役はもちろん子どもたち。といっても、参加しているのはほとんどが小学生以下であるから、杵をふるうのも危なっかしくて仕方がない。だから、大抵は大人が補助に付くことになっている。 「よいしょっ! それ、よいしょぉっ!」 今しも、小さな男の子が餅をつき終わった。まだ未就学児童の彼故、その後ろから杵を支えてもらっての作業であった。つまり、大人と子ども一組で一本の杵を振り下ろすのだ。 「よくつけたねえ」 今その補助役に就いていた男が、少年の肩に手を置きながら言った。米村というこの男は、このような奉仕活動に実に熱心で、地域でも知られた顔である。子どもの扱いも上手い。 男の子は嬉しそうに笑いながら、近くで見ていた母親のもとへと駈けて行った。母親、それを受け止めながら、米村ら担当者に会釈する。 それを見て、臼の傍で餅を返す役をしていた女性が彼女に声をかけた。 「お母さんもどうですか?」 「え、あたしですか?」 母親は困ったようにはにかんだ笑顔を浮かべた。そして、手を振って遠慮を表す。しかし、それは通らなかった。息子が喜んでこの企画に賛意を示したからである。 「そうですよ、碓井さんも折角だから」 米村も口を添えた。彼とこの母親、碓井鏡子とは知り合いの仲だった。地域の役員会で一緒になるからである。年は、今年やっと三十路をスタートさせた彼女に比して、彼は定年も間近の五十代と開いているが、同じ目的を共有する集まりに所属するうち、いつしかざっくばらんに話すようになっていた。 「そうですかぁ?」 方々から勧められて、仕方なしに鏡子は出て行った。午前中から始まった大会はもうあらかた済んでいて、順番待ちのいないことも彼女の登場を後押ししていた。 「じゃあ……」 杵を手に取る。成人である彼女に補助は必要ない。そう誰もが思った。が、その時だった。 「あっ!」 思い切りよく腕を振り上げた彼女が、なんと風にあおられてバランスを崩したのである。刹那、 「危ない!」 と、とっさに飛び出したのが米村だった。彼は、左手で竿をつかむや、右手で体を抱きとめて彼女を支えた。実に迅速かつ適切な措置だった。 「す、すみません……!」 鏡子は恐縮して首をすくめた。そうして、 「意外と重いんですね、これ……」 と、照れ隠しに言い訳をした。 その髪の香りが、米村の鼻腔をくすぐる。体を受け止めた手前、距離は近かった。彼は、右腕をちょっとこわばらせた。そこに乗る背や肩から、柔らかさと温もりが伝わってくる。 結局、鏡子は大人ながら、彼に手伝ってもらって餅をつくことになった。後ろから杵を持ってもらいつつ、ともにそれを振り下ろしていく。 「いよいしょ!」 さっきまでよりもややトーンの下がった掛け声が、後ろから聞こえる。ちょうど頭一個分米村の身長が高い。これが子どもだったら、彼の腹の辺りまでしかないところだが、さすがに成人女性ともなるとそんなに身長差は生まれない。自然密着の面積も大きくなる。声が遠慮勝ちになるのも無理からぬところだ。 しかし、妙な気遣いが差し挟まると、互いの間に微妙な空気の流れ出すもので、鏡子はいささか気恥ずかしさを感じずにいられなかった。そもそも、男性に後ろから抱えられるという姿勢は、通常の生活で滅多にあるものではない。だから、表面上こそ平静を装ってはいるが、内心相手の温もりを意識せずにはいられなかった。 それは、片や米村においても同様であった。むしろこういう場合、男の方こそ気を使うものである。それがいけないことだと理解していても、頭のどこかではやはり彼女を女と見てしまう。男のさがである。それ故彼は、出来るだけ隙間を開けて立つように努力した。 「いよいしょ……!」 しかし、離れて立つと厄介なのは、腕の力だけで得物を支えなければならなくなり、とりわけ手首への負担が大きいことだ。米村にはちとこれが厳しい。そこで、やむを得ず足を前に踏み出す。そうすると、どうしても触れ合う部分が出てくるが、腰の踏ん張りを利かせるためには仕方がないのだ。 だが、これはこれで厄介なのは、また相手の女を感じ過ぎてしまうことである。米村は地域の役員を引き受けて、しかも評判をとる位だから、このような場で公然と性欲を露わにすることなぞ決してない大人であるが、どういうわけか今日ばかりは勝手が違った。やはり男の立場としても、このように女性と密着する機会などまずないからであろう。意表を突かれたようなわけだ。そういう時に限ってエロスを感じるということは、ままあることである。 「いよいしょっ……!」 そういうことは、女の場合にも少なからずある。もし最初から下心見え見えで近づいて来られたならてんで相手になどしないのだが、こういう風に突発的に接触の機会が与えられるとどぎまぎしてしまうのだ。たとえ、相手の男性に異性としての興味がまったくなかったとしても。いや、あるいはそれが為返ってドキリとさせられてしまったのかもしれない。いわゆるギャップの妙である。 米村のことは、いい人だと思っている。新人の鏡子にも親切に色々教えてくれる。それも決して、下心の故ではなくだ。だがそれにしたって、はるかに年上と認識している彼に、男性としての温もりを期待してしまったことは、彼女にとって意外なことに相違なかった。 折しも、彼の腰が臀部にぶつかる。彼が腰を入れて構えだしたためだ。その所為で、彼の重心はやや下方に落ちた。鏡子の髪は今、米村の鼻の先にある。 「よいしょぉ……!」 米村は、にわかな逡巡にさいなまれていた。甘い香りと白いうなじ、腕やその他から伝わる柔らかさと温かみ……、そういったものが彼の理性を揺さぶりにかかる。いくら“よその家の奥さんだ”“あの子の母親だ”と言い聞かせてみても、己の邪な部分がそれを遮って誘惑をしかけてくるのである。こんなことになるとは思わなかった。 彼も男であるからには、それは彼女の美醜に興味がなかったわけではない。下心の全くなく近づいたかと詰問されれば、これを否定しきれない心の弱さもある。彼女は若くて可愛らしい女性だとも認めている。考えだすと、彼女の丸顔、小ぶりな目・鼻・口、和風な面立ち、少しぽっちゃりとした体型、そういうものをちゃんとチェックしていた自分に気づく。 だがしかし、彼女は人妻、そして自分も家庭を持つ身である。何よりいい歳して、若い女に欲情するわけもあるまい。そう、そうなのだ。実に馬鹿馬鹿しいことなのだ。なのに、なぜ男という生き物は、その客観的な思考を実地に生かせないのだろうか。なぜその先の顛末に思いを致せないのであろうか。たった今の性欲、これに我が身を乗っ取られたら、男は終わりである。 米村はさりげなく、本当にさりげなく、股間を前方に動かしていた。目指すは女の桃尻。これに股間を触れ合わせる。無論、少しでも避けられたら即座に中止して誤魔化すつもりだ。 「い、よいしょ……」 鏡子はすぐに知った。時々“当たる”ことを。実は、そういう可能性もあるかと真っ先に考えついていたのである。だから、元から神経をその辺りに集中させていた。ただ、それが当たっていると感じたのは、自分の思い過ごしかもしれないとも思った。米村がそんな行動に出る人とは到底考えられなかったし、何よりこんな場所で白昼堂々とそんな破廉恥な行為が成し遂げられるとはとても信じられなかったからである。 だが、それにしても接触は確かにある。わざとではないかもしれない。しかし、確実に局部が当たってくる。それはさながら、餅に杵が沈むような感じである。不意にそんな例えを思いついて、鏡子はその低俗な思いつきに恥入った。だが一度思いついてしまうと、変な絵が脳裏に浮かんで離れない。柔い膨らみに直立した竿が、ペッタン、ペッタンと打ちつけられる場面である。 女だからといって、性的な妄想を抱かないわけではない。特にこうして具体的な材料を与えられたならば、つい善からぬことを考えて、無聊を慰めたりするものである。妄想は退屈な日常へのスパイスだ。そうして、これに好奇心が加われば、いよいよもってスリルなフルコースの出来上がりである。鏡子には今、不愉快な気持ちはなかった。その頬がにわかに紅潮していく。 「よいしょぉ……ぅ」 ペッタン、ペッタンというより、実際には、グニャリ、グニャリという感じで、杵が餅をこねていく。手元の話ではない。腰元の話である。そして、ついにくっついたまんまになった杵は、餅をへこませて止まった。杵は杵だった。餅をつくのに相応しく、固い。 米村は、とうとう上半身まで隙間なく密着した。完全に前方の背中全体に覆いかぶさる格好である。初めは恐る恐るだったのが、相手が拒まないのでつい調子に乗ったものである。年甲斐もなく、彼は理性を見失っていた。自分が刑罰に向かって歩み始めたことにも気付かず、ただ欲求に素直になるばかりである。 と、その時、突然に彼は前のめりによろめいた。これはわざとではない。単なる油断である。この時、思わず彼は、彼女を羽交い締めにせんばかりにきつく引き寄せていた。 「す、すいません!」 当然謝る。ただし、餅の割れ目に杵の竿を沈着させて。 「い、いえ……!」 鏡子は反射的に答えた。表向きこの会話は、ただアクシデントに付随したやり取りにしか見えなかったが、その裏には、米村が自身の思わぬ発情を人妻に謝罪する隠喩の意味があると、そう彼女は解釈していた。それ故に妙に緊張して、半ば彼の語尾にかぶせ気味に答えたのである。 「いよいしょぉ……っ!」 再び餅つきが始まる。まだ数回しかついていないというのに、鏡子は汗びっしょりだった。さっきから子どもらを手伝っていた米村ももちろんである。二人して汗かきながらの共同作業だ。 とはいえ、本来なら子どもの付き添いである母親の飛び入り参加、ちょっと体験すればいいだけであり、何も本格的にやらずとも良いはずである。そう気づいてから、鏡子はたちまち不安になった。いや、実際にはまだ十回にも満たない回数しか餅をついていないので、誰も不信には思っていないのだが、気になりだすとキリがないものだ。 臼の傍に座って餅を返している女性。鏡子よりもはるかに先輩のベテラン主婦だ。彼女はとうに異変に気づいていて、それでも指摘できずに固まっているのではないだろうか。それから、少し離れたところで談笑している母親たち。ひょっとしたら、自分たちの破廉恥行為を噂の種にしているのではないだろうか。そして極め付きは我が息子。彼は大人の性向をまだ知ろうまいが、いずれ大きくなってから思い返して、この事実を疑うかもしれないし、そうでなくても、これはれっきとした裏切り行為である。 「よい……しょぉ……」 一方、この手の不安は米村にもぼつぼつ感じられていた。やはりまだ命は惜しかったと見える。ここでようやく、性的欲求を保身の利益が上回った。すると、直ちに彼は行動に出た。 「もう出来ますかね……」 杵が臼に落ちた時点で、ぱっと鏡子から離れる。一旦思いきると潔い身の引き方である。 これは鏡子にとり意外だった。もちろん歓迎すべきことであるが、いざこうなると、なぜか一抹の名残惜しさもある。ともかく、これで体験は終了だった。 ところが、実際の終了はもう少し後になりそうだった。臼側の女性が知人に呼び出された為に、役の交代を依頼してきたからである。これを断れない鏡子だ。今度は餅をこねる方を体験することになった。例によってこれに声援を送る息子が、自分もやりたいので、傍に駆け寄ってきて座った。親子並んでの延長戦である。 もっとも、今回は米村と離れているのだから何も憂慮すべき点はない。……はずだった。が―― 「よいしょ……ぉっ!」 代わって一人で杵を振るうことになった米村。それはいい。臼の前に立って己の作業に没頭している風だ。そしてその足元で、鏡子らが餅をこねる。足元で……、つまり、彼の腰辺りがちょうど顔の近くにあるわけで―― 「いよいぃしょぉっ!」 見てはいけないと思った。しかし、一度でも見てしまうと、どうしても目線がそちらに引っ張られる不思議。そうでなくても視界にはそれが入り込んでくる。鏡子は、息子がそちらに気づいてくれないように祈りながら、懸命に顔を伏せる努力を行った。 米村のジャージの股間には、突っ張った山が出来ていた。それが目線の周辺で存在を誇示する。こんな状態を見せては言い逃れできないではないか、と彼の心を責めてもみる。だが、この状況を回避する手立ては考え浮かばない。心なしか、山の頂きには雨が降っているようだ。本当はそんな事実はないのであるが、彼女にはそんな幻影が見えていた。濡れた染みの広がる光景だ。 「よいしょっ!」 当然米村にも自覚はあった。なんとなれば、濡れたわだかまりをすら見せつけたい位だ。欲情してしまった彼は、さっき折角踏ん切りがついたところだというのに、まだしつこく抵抗を試みていた。未練である。 この行為がどんなにリスクのあることかは分かっている。否、本当の意味では分かっていないかもしれない。ことが露見すれば、身の破滅だってあり得るのだ。それなのに見せつけたい衝動を収められないということは、危機への実感が足りないからであろう。その裏には、ひょっとしたら彼女はまだ一連の行為に気づいていないかもしれない、なんて、そんな甘い考えもいまだにあった。 「いよいしょぉっ! いよいしょぉっ!」 餅つきとは、古来男女の営みを象徴化したものという。打つ男性と受ける女性、そして、共同作業で餅を誕生させる構図。今、知らず知らずその象徴的意味を体感しながら、互いの心を一つにして、餅つきに精を出す男女であった。 〈おわり(?)〉 |