「(しまった!)」
と比嘉は思ったが、もう後の祭り。
「(バレた!)」
心をざわつかせる前原。
名を呼ばれ、無表情で振り返る佳彦。
そして、有紀は……
「ヒ……イ……ギイ……ギャアアァァァー……ッ!」
断末魔にも似た絶叫が、夜の校舎にこだました。
「え?」
「何?」
誰にとっても想像以上の叫び。皆々驚いて有紀を見、そうして、その視線の先を追う。そこに佇むのは、果たして悪魔の子か。
「誰?」
「そう言えば、こんな奴いたっけ?」
気味の悪い感情に包まれる男達。それをよそに、有紀がこれまでになく暴れ出す。
「お、おい、押さえろ」
周りにいた少年らが雲散霧消し、代わって大人達が組みかかる。
「ギャアッ、イヤッ、ヤッ!」
なりふり構わぬ態で逃げようとする有紀。ひどい狼狽え様である。これには、さすがの前原も呆気にとられた。
「(こんなになるとは……)」
それは、想像以上の反応だった。凌辱の場を見られることは確かに悲劇ではあるが、平生の応対はむしろ淡々とした印象であっただけに、我が子に接してこれ程の動揺があるとは思いがけなかった。やはり、母性がなさせる嘆きなのであろうか。
「ヤッ、イヤッ、離せ、離せぇっ!」
いまやはっきりと拒絶の意思を示しながら、有紀はその場から逃れようとする。視線は出来るだけ逸らす、もはや禍々しいと言うべき、己の血を分けた遺伝子から。そこに、愛とか配慮は無いと断言して良い。では、有るのは何か。
「なんだ?」
面食らった様子で、小林が周囲を、就中比嘉の顔を見る。比嘉は答えなかった。己の迂闊を悔いて、これ以上の罪を重ねまいと自重していた。
だが、有紀の狼狽を見、その眼前にいる少年の年恰好を見れば、誰の目にも容易い推理ゲームである。程なく、彼は身近な若輩を捕まえて問うた。
「おい、あれ……息子か……?」
面と向かって問われた克弘、仲間に助けを求めたい所だが、誰も目を合わせてくれない。進退窮まって、とうとう彼は白状せざるを得なくなった。きまり悪そうに浅く頷く。
「感動のご対面ってやつ……?」
慶介がボソリと呟いた、言葉面とは裏腹に、真に迫った声音で。だが、その控えめな感情も一瞬のこと、たちまち仲間らと色めきたった。
「マジか、おい!」
「最悪じゃん。ヒくわ~」
口々に言い合うのは、やはり事態を面白がる風潮だ。
「違う! 違うの!」
乱れ髪の端を口に張り付けながら、有紀が絶叫する。周囲に対しては親子関係の否定、且つ息子に対しては現状の否定、その両方の意味を含む“違う”だった。今度は血走った眼をギョロリと佳彦に向けている。その目には、半ば憎しみが溢れていた。
有紀にとって、平生から佳彦は疎ましい存在だった。長じるに従って、その傾向は顕著になったと言っていい。小さい内はまだ気にする程でもなかった。しかし、中 学生ともなり、男の子から男性へと成長する様は、ある種不気味にも思え、己の理解が及ばなくなるようで不安だった。その点、同じ女である下の子二人はまだ感覚的に理解出来たものだ。
もっとも、子 供らに対する愛情というものは、そもそもが希薄な人であった。お腹を痛めて産んだ子に対して、一体にそんな薄情な母親があるものかと疑問を呈する向きもあるだろうが、どこまでも自己愛の強い彼女にとって、子 供はペットと同格、しかも自分が構いたい時だけいればいいといった類のそれであって、その意味では装飾品と変わりないのである。
三人も産んでおいて、傍から見れば理解に苦しむ所だが、その点も彼女の中で何ら矛盾はない。元々が政略結婚で、義務的に設けた子である。結果的に三人は多いが、産めと言われれば産んだだけのこと。そこに自らの意思はなく、ある意味、家畜のようなものだと自嘲したこともある。計画と無計画の狭間で誕生した産物、それらをただひたすら冷めた目で見つめる。それが彼女という生き物だったのである。
「おい、お前大丈夫か」
小林が佳彦の肩を叩いて尋ねる。その口辺には不穏な笑みがこびりついていた。
佳彦は何も答えず、何も語らぬ目でしばし母と見つめ合う。その間、僅か十秒。有紀の方がまた視線を外すまで続いた。
「もう、いいでしょ……」
それまでと一転、一気に沈み込んだ口調で、有紀が呟いた。あまりに小さいその声は、押さえつけている男らにすら届かなかった。完膚なきまでに打ちのめされた彼女の脳天に、絶望の二文字が衝撃的に圧し掛かる。これまでと比較にならない真の絶望。彼女は、自分が最後まですがっていたものの正体を、今ははっきりと自覚することが出来た。それは、いずれ戻るつもりだった華々しい日常である。それへの執着が、その象徴的存在である登場人物との対面によって、脆くも崩れさったのだ。彼女はもう、以前の平穏に帰る道を、完全に失ったのである。
「オオアオォァ……」
低い唸りを吐いて、脱力していく。脇の男達が、すんでのところでそれを支えた。
一方、普段の親子を知る者達には、軽いインタビューが行われていた。それによって、祥吾と雅也は佳彦の同級生、俊之と克弘は上級生であることが自白させられた。
「なるほど。それじゃ、知ってて犯してたわけだ、友達の前で、その母ちゃんを」
「そりゃなんと言うか……すごいな、最近の子は……」
矢板と鎌先が顔を見合わせる。彼らとて、こんな場合は初めてだ。どんな反応をしたものか判断つかない。ただ、佳彦を助けようなどという意見は思いつかなかった。
忸怩たる思いは、比嘉と前原。こんなことになる前になんとか出来なかったのかと、今更考える。だが相変わらず、何かしようとは今もって動かない。
恵太と優斗は佳彦の下級生であったが、有紀との交流はほとんどなく、事前にその種の背徳感は持たなかった。今真相を知って驚いている。そして二人とも、もしも自分の母親だったら、という考えがチラリと閃くのを必死にかき消した。気持ちの悪い話だと思った。
「で、どうなんよ、ダチのママとヤんのは。興奮した?」
浩樹が興味津々で克弘の顔を覗き込む。克弘は苦笑いして誤魔化す。実際そういう感情はあったが、急に暴かれるのは恥ずかしい。
「ヤベえな、ガチで。同級生の母親マワすとか。しかも、息子にそれ見せるとか」
竜二は熱っぽく言った。彼には感動する要素があったようだ。
他方、慶介は、今や時の人となった佳彦に、あっけらかんと呼びかけた。
「あんま落ち込むなよ。マワされたんだよ、お前のママ。けどもう、ヤられちゃったもんは仕方ねえじゃんよ」
「そうだそうだ。兄ちゃん、いいこと言うね」
小林が引き取って言う。
「ママはね、輪姦されたの。分かる? ここにいる奴全員、いや、もっと沢山の男とオマンコしてたの。今日の朝からずうっと、チンポ入れられっぱなしよ」
そうすると、それまで笑いをこらえていた沼尻や服部も、便乗してからかい始めた。
「セックスしてたんだよ、セックス。おじさん達と今朝からずっとね。セックス、習ったろ、学校で? 子供作ってたんだよ、おじさん達とママが」
「ボクは弟と妹、どっちが欲しい?」
「気持ちよかったぜ、お前の母ちゃん。なあ、良かったろ?」
再び口を開いた小林が、傍らにいる俊之に問うた。すると、俊之もとうとう悪ふざけに一歩踏み出した。
「き、気持ちよかったぜ、金光のおばさん」
大胆不敵にも、直接息子へ母親レイ プを告白したものだ。これを聞き、浩樹が彼の頭を軽くはたく。
「バーカ、さっきまで童貞だった癖によ」
と、そう言ってから思いついて、佳彦に向き直って言う。
「こいつら、お前の母ちゃんで童貞卒業したんだぜ。ていうか、今日だけで何人の筆おろししたんだろうな、このおばちゃん」
別に誰に訊くでもなく、また誰も応えるでもなく、ただ佳彦の母が性交の初体験を一日に何人も済ませてやったとの事実を伝えられたらよかった。ちなみに、真相は小中 学生九人である。
「まあ、こうやってさ――」
まとめるように、服部が語る。
「君のお母さんとみんなで仲良しして、みんな仲良くなったわけだよ」
それを聞くと、鎌先が妙に感動して、
「その言い方いいねえ。“仲良しして”っていいね」
と、しみじみと頷いた。
その時、ふと慶介が気づいて佳彦に言った。
「あれ、お前……起ってんじゃね?」
「え? え? マジかマジか」
竜二が友人の指摘に色めき立つ。一同の視線が、少年のジャージズボンの前に自然と集まった。そこは確かにこんもりとして……
「お前も――」
そう慶介が言いかけた時だった。幾人かが耳をそばだてる。廊下に微かな足音が。
「ああ、お客さん来なすったな」
服部が思い出してつぶやいた。
〈つづく〉
〈現在の位置関係〉
▼教室D
有紀、前原、佳彦、慶介、浩樹、竜二、小林、比嘉、俊之、克弘、祥吾、雅也、恵太、優斗、服部、袋田、藪塚、矢板、鎌先、羽根沢、森岳、沼尻
▼打ち上げ会場
花村、島田、鈴木、金光
▼帰宅
高橋、豊、聡、翼、清美、瑞穂
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